小中学生から募集した第74回社会を明るくする運動の作文コンテストの審査結果が発表されました。
 法務省と社会を明るくする運動中央推進委員会の主催。生活の中で体験したことを基に、犯罪や非行のない地域社会づくりや、犯罪や非行をした人の立ち直りについて作文を寄せてもらいました。
 手稲区内の小学校8校から児童322人、中学校2校から生徒6人が応募しました。選考の結果、5人の作文が入賞しました。手稲区保護司会は、各校で授賞式を実施。受賞作品集を作りました。
 受賞者の一覧と受賞作品を掲載します。

 受賞者と作品の一覧

札幌地方推進委員会優秀賞犯罪や非行を減らすには前田北小6年髙濱 慈衣
犯罪ゼロ社会をつくる新稜中3年佐野 羽
手稲区区長賞人のことを考えて発言しよう新発寒小6年川村 俊斗
手稲区保護司会会長賞私にできる事稲穂小5年山口 あまね
寄り添う稲積小6年境 謙心

 札幌地方推進委員会優秀賞

 犯罪や非行を減らすには 前田北小6年 髙濱 慈衣

 私が幼稚園に通っている時に、親が里親の活動を始めて色々な子どもたちが私の家で暮らすようになりました。その中で5歳から8歳まで一緒に暮らした男の子がいます。一緒にゲームをしたり、あそんだり楽しかった思い出が残っています。しかしその子はうそをつくことが多く次第に私の物を隠したり、友だちの物やお店の物を盗むようになりました。夜中に家のれいぞうこをあさったりもしていました。私はまだ小さかったので、「何してるんだろう」と思って「そんなことするなよ」と教えましたが、辞めることができずにいました。今回この作文のテーマを考えた時にその子のことが頭に浮かびました。
 あの子が大人になったらどうなるのだろうと思いました。私の親はその子に何度も話をしていましたが、直ることはありませんでした。例えば、私の親は自分がうまれてから大人になるまで、ずっと寄り添ってくれます。しかし里親はこちらが関係を保ちたいと思っても、子どもがはなれていってしまうことや会えなくなってしまうことがあると知りました。
 子どもは大人の考えを真似ます。特に犯罪や非行に走る人たちは子どものころに親からの愛情を感じられなかったり、まんぞくする生活をおくれていなかった人が多いと学びました。その空いた部分を、良くない形で埋め合わせする行動が犯罪や非行につながります。また自分が子どもの時に大人との関係が築けず、大人になってから苦労してしまう子もいます。逆に小さい頃に人を信頼できたら、自分が大人になった時に自立していくことができると思いました。
 子どもの頃は「良い大人に出会いたい」と自分が思っても、自分でその機会を作ることができません。だから社会が様々な価値観を持つ人たちと出会える場所を作っていく必要があると思いました。また、人との出会いだけでなく生き方を考えたり、学ぶことのできる漫画や小説、映画に触れる場所を作るのも良いと思います。ぼくの好きな漫画に「進撃の巨人」という漫画があります。その話の中にパラディー島という島があり、そこにいる人間はあくまだと教えられた子どもたちはその教えをしんじ、島のあくまを滅ぼすという気持ちになるのでした。このように子どもたちは周りにいる大人たちの言っていることが自分の考えになってしまいます。そうならないよう色々な考えを持つ、人や友達たちと沢山触れ合うことが大切だと思います。それらの出会いを通して、自分で考えていく力をつけていくことが出来るからです。
 今は失敗を責められる社会で、子どものときから失敗することばかりに目を向けられていきます。しかし子どもの時のトラブルを通して相手を知ったり自分で解決する力をつけていくことも大切です。
 その時に正しく関わってくれる大人から失敗を通して教えてもらえると良いと思います。完全に犯罪や非行を無くすことは難しくても、犯罪や非行に行く道を人や良い作品との出会いによって減らしていくことを願います。

表彰状を受け取った髙濱慈衣さん(右から2人目)

 犯罪ゼロ社会をつくる  新稜中3年 佐野 羽

 社会復帰調整官の母がテレビを見て、「最近は日本でも凶悪な事件が多いね。」とつぶやきました。
 社会復帰調整官は、特定の犯罪者の更生を促す職であり、通常被害者側の立場で考える私達とは真逆の加害者側の立場で支援をすることが主な仕事です。
 その母が話すように、近年日本でも海外や映画の中でしか見聞きしない凶悪なニュースを耳にします。母の考えでは、従来の情報源といえばテレビなどが中心だったが、近年はスマートフォン等の普及により個人で膨大な情報の入手が容易になった。が、その情報の危険性の吟味、情報の信憑性は精査されず公開されていることも多い。さらに、SNSによる自由な個人的発言が大衆を間違えた方向へ煽り導くことも少なくない。これらの与えている影響もきっと大きいということでした。
 なぜ犯罪が起こるのか。「人が人である限り犯罪は起こりうる」と私は考えます。時代や環境が異なれば、それに沿う形で犯罪が存在するように思います。つまり、今日本で起きている事件の多くは、おそらくは今現在の日本に沿う形で発生している。その事実を受け止め、向き合い形を考える事が必要な時なのだと思います。
 人は凄い弱い生き物です。欲望に簡単に負けるし、悲しみや孤独にも弱い、些細な事に怒り、暴力性も有します。時にそれが犯罪に繋がる事さえ。また、世界は理不尽と不平等で溢れていて、常に幸せな人と不幸な人が混在しています。犯罪とは、こうした要因から生まれるものかもしれません。
 犯罪は多くの人を不幸にします。犯罪によって傷つけられる被害者がいます。一方で罪を犯し、自らを不幸にする加害者もいます。しかし、どちらも同じ人間の仲間です。犯罪で不幸になる仲間を出さない為、まずは幸せな人の数を増やす事を考えてみるのはどうでしょうか。私は、社会の安全度は人の幸福に人数を掛けた一次方程式のように思えます。
 父が「昔は知らない人にも度々怒られた」と言っていますが、私は両親と先生以外に怒られた記憶がありません。現在は、他人に注意することはもちろん、干渉することすら敬遠されがちですが、その風潮が他人との間に奇妙な距離感を作り、孤独感や無関心さを感じさせ、自分の殻に閉じこもる閉鎖的で不幸そうな人間を作る要因の一つになっているのではないでしょうか。
 まずは、挨拶などの軽いコミュニケーションを幸せに繋げてみませんか。挨拶が会話になり、会話が親しみとなり、やがて些細な幸せに繋がれば私の考えと矛盾しますが、「犯罪ゼロ社会」が誕生するきっかけになるかもしれません。
 また、罪を犯した事のない人間が、罪を犯した人間の気持ちや立場を完全に理解するのは難しいけれど、その努力無しに、「犯罪ゼロ社会」の誕生はおそらくありません。彼らはきっと話を聞いて欲しい、力になって欲しい、救って欲しいのだと思います。そして、私たちと同じように「幸せでありたい」と願っているはずです。「環境が違えば、私たちが罪を犯す側の人間であったかもしれない」と彼らの事を理解し受け止める努力をしなければならないと思います。そうすれば、未来に同じ様な罪を犯す人を救う事ができるかもしれません。
 多くの人が幸せになれるように、まずは思いやりを伝染させましょう。小さな挨拶、互いへの関心、慈しむ心、自分以外の誰かの為に向けられる温かい行動は必ず伝染します。こうした思いやりの伝染が「犯罪ゼロ社会」への礎になると信じています。
 私の願う社会は、監視カメラや警備などで防犯を徹底した「安全な社会」ではなく、互いに見守ることでそれらを必要としない、「安心の社会」です。
 単純ですが、幸福な人を増やせば、不幸な人は逆に減る。それに伴って犯罪は減り、安心な社会により近づく。これが私の考える、「犯罪ゼロ社会をつくる」の答えです。

表彰状を手にした佐野羽さん(中央)

 札幌市手稲区区長賞 

 人のことを考えて発言しよう 新発寒小6年 川村 俊斗

 ニュースを見ていると、よく「誹謗中傷」について取り上げられていることがある。 
 僕たちのコミュニケーションに欠かせない「言葉」。それはときに、言葉のナイフとなって人を襲う。そのナイフの名が「誹謗中傷」だ。例えば「バカだね」や「意味わからん」など何気ない会話の中でも、人によっては傷を負ってしまうかもしれない。そして、これは普段の「会話」だけで起こることではない。ここでは、「インターネット」で起こった事件を紹介する。
 2018年5月、当時17歳の女子高校生が自殺するという事件が起こった。その事件は、「インスタグラム」の投稿がきっかけとなって発生した事件だった。「インスタグラム」それは多くの人がインストールしているアプリの一つであり、今では小学校高学年でも使っている人が多い。そんなインスタグラムで、なぜこのような事件が起こってしまったのだろうか。それは、誤解によって生まれたものだった。誤解ならすぐに解決するはずだったが、被害者の周りには、それを知らずに馬鹿にする人が多かった。「キモい」「うざい」などたくさんの誹謗中傷をされた。そして授業の三時間目に早退し、帰宅後一時間の間に自殺した。このことから、短期間での誹謗中傷でも、鋭いナイフになることがあるということが分かる。そして、その情報が本当なのか、嘘なのかをしっかりと確認してから発言するべきだと僕は思う。それと同時に、「これを言ったら相手はどんな気持ちになるかな」「自分が言われたらどう思うかな」とじっくり考えてから発言するべきだと思う。だから僕は、「人のことを考えて発言しよう」ということを提案する。僕は人々が協力して、平和に暮らせるような社会になったらいいと思う。
 これからは、「言葉」を正しく使い、仲良く過ごせる社会になればいいと思う。「誹謗中傷」がなくなれば、人と人との問題が改善し、今まであまり好意的に思っていなかった人とも仲良くできると思う。だけど、それは完全に無くなることは無いだろう。なぜなら「言葉」は、人にとって欠かせないコミュニケーションの道具であり、誰でもそう考えていなくても誤解を招いた発言で人を傷つけてしまうことがあるからだ。だからこそ、今ある誹謗中傷をできるかぎり減らすためには、相手を考えて発言する必要がある。
 ただ、最初からすべて考えて発言するのは難しいと思うから、ネガティブな発言をするときでも、「批判」ではなく「アドバイス」の言葉を増やせばいいと思う。あなたも相手のことを考えて発言してみてはどうだろうか。

表彰された川村俊斗さん(中央)

札幌市手稲区保護司会会長賞

 私にできる事 稲穂小5年 山口 あまね

 なぜ犯罪や非行が起きるのか。それは悪いことをする人がいるからです。では、なぜ悪いことをするのか、私には犯罪を犯す人の気持ちはわかりません。どうしてわざわざたいほされるかもしれないのに犯罪を犯してしまうのか、何か理由があるのではないかと考えてみました。
 私は、以前お母さんのスマートフォンをみちばたに落としてなくしてなくしてしまったことがあります。その時は電車でお出かけをした帰り道でした。妹が寝てしまい、お母さんが妹をだっこしていたので、駅のかいさつを出る時に私がお母さんの代わりにスマートフォンをかざしました。そのまま自分のポケットにスマートフォンをしまったのですが、しばらくして落としまったことに気がつきました。何度探しに戻っても見つからず、私は心から申し訳ない気持ちになりとても悲しくなりました。でも、何日か経ってから、けいさつしょにお母さんのスマートフォンが届いていると連絡が来ました。私は、そのままぬすむことせず、わざわざけいさつしょに届けてくれたその人に対して感謝の気持ちでいっぱいになりました。私も、誰かの落とし物を見つけたときには、なくして困っている人の気持ちを考えてけいさつしょに届けようと思います。そうすれば、その人もそのまた次の人にも良い行いがつながっていくのではないかと思うからです。もしかしたら、人から物をぬすんだりする人は、なくなって困っている人の気持ちが想像できなかったり、自分自身が誰かに助けてもらったり感謝をしたことがないのかもしれないと考えました。なので何か困っている友達がいたら声をかけてみたり、助けてあげたりして、身の回りの人から少しずつ良い行いを広めていきたいと思います。
 私には五才はなれた妹がいます。妹は、目をはなすとすぐにどこかに行ってしまいます。ぜんぜん言うことを聞かないで勝手にちょろちょろするのでいつもお母さんに怒られています。妹はいつもうるさくてわがままなのでよくけんかをしています。なまいきでにくたらしい時もあるけれど、ニュースで妹と同じ年くらいの小さな女の子がゆうかいされたり殺されたりした事件を見るとかわいそうでとても悲しくなり、ニュースを見るのがいやになります。でも、ニュースでいろいろな事件を知ったからこそ、私は妹がそんなひどい目にあわないように、気をつけるようになりました。妹がトイレに行きたいと言った時は絶対について行き、妹が一人にならないように気をつけています。お店の中でも妹が遠くへ行かないようにいつも目を光らせています。私も絶対に一人でトイレに行ったり行動しないようにしています。友達と遊ぶときも、必ずどこで遊ぶのか、誰と遊ぶのか、何時に帰ってくるのかを伝えるようにしています。
 正直、私はニュースを見るのが好きではありません。ニュースを見ると、どうしてそんなひどいことができるんだろうと思う事件がたくさんあります。私は犯罪を犯す人の気持ちはわかりません。でも悪い人がこの世からいなくなることはないし、もしかしたら身近にひそんでるかもしれません。犯罪のひがいにあわないためには、まずは色々な事件について知り、一人ひとりが防犯の意識をもつことが大切だと思います。

板垣会長から表彰状を受け取った山口あまねさん(右)

 寄り添う  稲積小6年 境 謙心

 犯罪や非行がよくないのは、困る人や傷つく人がいるからです。それはきっとみんなが分かっていることです。では、どうして犯罪や非行がなくならないのでしょうか。ぼくは、その原因の一つに、相手を思いやることを難しくしている心の状態があると思います。犯罪や非行を防ぐためには、ぼくたちみんなが互いに心地よい距離感を保ちながら、相手の気持ちに寄り添うことが重要だと考えます。
 ぼく自身、低学年のころから、口のたつ性格だったので、自分の意見とは違う行動をする人に対してイライラしてしまい、よく口げんかになりました。当番をしないなど、ルールを守らない人に対しても強い口調で接していました。しかし、考えてみると、このようなけんかは自分の押しつけるような態度が原因だったのかもしれません。その人にはその人なりの理由があったはずです。それなのに、理由も聞かずに「ちゃんとやれよ」と責めた自分は寄り添うのではなく、相手の心に踏み込みすぎていたのだとおもいます。相手の立場になってみたら、その行動を選んだ理由を尋ねることができたはずです。ぼくの態度で相手が自分の気もちを理解してくれていると感じたら、相手の言葉や言動は変わったのかもしれません。
 「自分は相手ではないから分からないけれど、きっと何か考えがあるのだろう」と思えると、人と人とは心地良い距離の中で、相手に寄り添うことができると思います。  逆に「自分はやっているのに何でできないのだ。」と責められ続け、「悪い人」のレッテルを貼られると、その人の自尊心は低くなってしまいます。
 現在、犯罪や非行に手を染めてしまう人がいるのも事実ですが、彼らは、自分の気持ちに寄り添ってもらえた経験が少ないのかもしれません。なぜなら犯罪者になりたくて生まれてくる人はいないからです。
 だとすれば、私たち小学生にもできることがあります。相手の気持ちに寄り添い、互いの良い面を認め合うことです。たとえ、自分と考えが違っていても、相手がなぜそう考えるのか理解しようと努めることです。一人一人が他者を大切にすることで、相手を尊重する社会に向かっていけます。そうすれば、犯罪や非行を防ぐための第一歩になるのではないでしょうか。

表彰された境謙心さん(中央)